殺人等:藤城康孝 悪化する近隣住民との関係(2)
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こちらのつづきです
被害者のとし子さんについてです。
「昭和20年の財産分けのとき、土地を配分されるはずだったが、実行ならず先祖が死亡。そのまま土地はとし子に受け継がれました。
被告人は母から、とし子がそうさせなかったと聞いていました。
とし子は被告人の両親に、被告人の住む家屋をひっぱって移動させろ、など、無理な要求をしたり、また、両親はとし子から『選挙に行かないならここから出て行け』などと言われたりしていました。
またとし子は、バキュームカーのホースを入れるための穴がある場所にガラクタを置いたり、被告人が花火をすると『勝手な事をするな』と叱りつけたりしていました。
被告人が中学1年生の時、当時大学生の勝則が自宅で少林寺の練習を観ていて、その流れで腹を蹴られたりしました。このとき被告人はいじめられたと強い怒りを抱きます。
高校時代、弟が義久を殴った時、殴り返すと、ムリヤリ謝罪をさせられました。
そのため、被告人は、とし子一家が、本家の権威をかさに着て、被告人家族を見下していると思っていました。また、父が家にいて定職につかないことなどを見下されていると感じていました。
ある日、抜いた草を散らかしたままのとし子について被告人が文句を言うと、『文句があるなら出て行け』と言われたこともあるようです」
検察が言っているので、おそらくとし子さん一家からのそのようなイヤガラセについて検察は争っていないようです。
ちなみに、被告人宅は、本家のとし子さん宅の敷地内にありました。
「平成7年、被告人宅のペンキを塗り替え中に、とし子が様子を伺っていたのを目にします。修理にも本家にことわりを入れろと言われているような気がしていたところ、勝則の声がして『代わりに言うてくれへんか。あいつはカッとなったら何するか分からん』と被告人のことを言っていました。これに立腹した被告人は、庭に向け、屋根の上から金づちを放り投げました。
このように被告人はとし子と、その家族に強い憎しみを抱いており、また、とし子一家が、分家の被告人一家を嫌悪していたことは被告人の思い込みではありません。
義久の妻は、義久が被告人を嫌悪していたと述べています。
挨拶に行かなくていいのかと義久に妻が訊ねた時、『ええねん。オヤジの弟の家とは付き合いがない。康孝っていうアホがおんねん』と言っていたことや、義久が『隣のアホが、犬の鳴き声がウルサいと怒鳴り込んできた。康孝や』と言っていたことを述べています。
また『私だけ父の土地を分けてもらってない』という家族に対してとし子が『西隣をあげる』と被告人宅を譲るという話をしており、被告人を軽んじる言動をしていました。
被告人がとし子一家から見下されていると感じたのも無理はありません」
なんというか論告なのに、、、被害者の生前の行動についてこのように書くのは気が引けます。
若干まとめつつ進めますと、
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